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理系が理解する音楽理論

音色とは何か(倍音構成と位相)

2026年8月13日

序文

人は、楽器の音を聞いたとき、これはピアノだ・ヴァイオリンだ・ドラムだ、と判断する。
たとえ、それぞれの楽器が同じ音程の音を発していたとしても、である。この違いを、一般に「音色」と呼ぶ。

ところで、音色の正体を、物理的に説明できるだろうか?
学生時代の理科・物理の授業を思い出してほしい。
音とは1秒間に空気が何回振動するか、その回数(周波数)によって音程が決まる、と習ったと思う。
しかし、読者諸君は、先ほど同じ音程でも音色は異なると認めたばかりであり、周波数は音色でないことに気づくと思う。
だからこそ、ピアノとヴァイオリンを聞き分けることができる。

物理が得意な読者や、シンセサイザーなどを扱ったことのある読者なら、音色とは波の形だ、と言うかもしれない。
sin波だけでなく、矩形波や鋸波、パルス波のような波の形こそが音色なのだと。
しかし、これは (全くの誤りとは言わないまでも) 正しくない。

本稿では、音色がどのような物理現象に基づいているのかを、丁寧に検証する。

なお、実際の楽器の音にはエンベロープ (音量の時間変化) がある。エンベロープによっても楽器をある程度は聞き分けられるが、エンベロープなしでも聞き分けは可能であり、筆者はエンベロープを除いた部分こそが音色だと捉えている。よって本稿では簡単のため、楽器が鳴り始めて少し経ち、音が安定した部分を「音色」として扱い、検証を進める。エンベロープについては、別の記事で扱う。

土台となる知識

Theorem — フーリエの定理

周期 TT(基本周波数 f0=1/Tf_0 = 1/T) を持つ周期的な波 p(t)p(t) は、次の形に展開できる。

p(t)=∑n=1∞αnsin⁡(2πnf0t+φn)p(t) = \sum_{n=1}^{\infty} \alpha_n \sin(2\pi n f_0 t + \varphi_n)

ざっくりとは、「どのような音程の音も、様々な sin 波をうまく足し合わせることで再現できる」と主張している。
もう少し詳しくは、「どのような周波数の波も、その周波数を整数倍 (nn倍) した周波数の sin 波を、適当な振幅 (αn\alpha_n) で、適当な位相 (φn\varphi_n) だけずらして足し合わせることで再現できる」との主張である。

この定理から導けるのは、同じ音程の音のバリエーションとしてあり得るのは、数列 {αn}\{\alpha_n\}, {φn}\{\varphi_n\} の組のバリエーションだけである、ということである。つまり、{αn}\{\alpha_n\}, {φn}\{\varphi_n\} の組が、何らかの形で音色の情報を持っているということになる。以下では、{αn}\{\alpha_n\}, {φn}\{\varphi_n\} がどのように音色に寄与するかを確かめる。

振幅 αn\alpha_n(倍音構成) の考察

まず振幅 αn\alpha_n から確かめる。数列 {αn}\{\alpha_n\} は、nn倍音をどれだけ含むかという情報であるため、倍音構成と呼ぶ。位相はすべて揃えたまま、倍音構成を変えた波をいくつか準備した。天下り的だが、特徴的な3つの波形 — 鋸波・矩形波・三角波を、5倍音までの近似で用意した。実際に鳴らして聞き比べてみてほしい。

波形は波の形を示し、スペクトラムは、何 Hz の sin 波がどのような振幅で鳴っているかを示す。3つの波は、倍音構成が異なるのみで、はっきりと違う音に聞こえたはずである。つまり、倍音構成 {αn}\{\alpha_n\} は音色に寄与する。

オームの音響法則

「倍音構成が音色を決める」というこの主張は、歴史的にはオームの音響法則(Ohm, 1843) と呼ばれ、後にヘルムホルツが著書『音感覚論』(1863) の中で精緻化した。ヘルムホルツは、耳は複合音を構成周波数成分に分解して受け取り、各成分の相対的な位相にはほぼ反応しない、と論じた。つまり、音色は倍音構成 {αn}\{\alpha_n\} だけで決まり、位相 φn\varphi_n は無視できる 、という主張である。

しかし、この主張がそのまま正しいわけではないことが、後の研究でわかっている。実際に、位相が音色に関係するかを次の章で確かめる。

位相 φn\varphi_n の考察

まず、440Hz(ラ, A4) の鋸波、30倍音までの近似で試す。標準の鋸波、筆者が適当にずらした波、押すたびに位相がランダムに変わる波の3種類を用意した。

これらの音は、聞き比べてもほとんど区別がつかないはずだ。区別がつくあなたは、相当に耳がいい。

本筋からは外れるが、これにより、見た目のまったく違う波形が同じ音色になりうる、ということがわかる。音色に対応しているのは波形の形そのものではない。

低い音では挙動が変わる

ところが、同じ操作をもっと低い音 (A1、55Hz) で行うと、聞き比べて違いを認識することができる。

440Hz の場合とは違い、この条件では位相を変えると、音色が変わって聞こえることがある。プロンプとステーネケン (Plomp & Steeneken, 1969) は、倍音構成 (振幅) を固定し位相だけを変えた複合音を、音量と音の高さをそろえた上で聞き比べる実験を行い、位相の違いが音色に影響することを示した。もっとも、その効果の大きさは倍音構成の傾きを2dB/オクターブ変えた場合の効果より小さく、高い音ほどさらに小さくなる。なぜ低い音でこのような現象が起こるのか、そのメカニズムを次の章で見ていく。

耳の機能

この章では、位相変化が音色変化をもたらしたメカニズムを知る。

それにはまず、耳がどのように音を周波数に分解しているかを知る必要がある。 耳にある蝸牛の中には基底膜という膜があり、場所によって硬さや幅が連続的に変化している。音が鳴ると基底膜には波が伝わり、その振動が最も大きくなる位置は音の周波数によって決まる (高い音ほど蝸牛の入り口寄り、低い音ほど奥寄りが揺れる)。つまり基底膜上の「場所」が「周波数」に対応しており、この対応関係によって耳は音を周波数ごとに分解している。基底膜の上に並ぶ有毛細胞は、この振動を神経信号へと変換する役目を担っている。 ただし、基底膜上のそれぞれの場所は、1つの周波数「だけ」に反応するわけではなく、ある幅を持った範囲の周波数すべてに反応する。この、基底膜上の1つの場所が持つ幅を、ERB(Equivalent Rectangular Bandwidth、等価矩形帯域幅) と呼ぶ。多数の被験者のマスキング実験から推定された値を平均して、次の式にまとめられている (Glasberg & Moore, 1990)。

ERB(f)=24.7(4.37f1000+1) [Hz]\mathrm{ERB}(f) = 24.7 \left(4.37 \frac{f}{1000} + 1\right) \text{ [Hz]}

この式からわかるように、ERB は周波数 ff により異なる。

∣f−f′∣<ERB(f+f′2)|f - f'| < \mathrm{ERB}\left(\dfrac{f+f'}{2}\right) であれば、蝸牛はそれらを個別に分離できず、まとめて1つの信号として処理する。
厳密には、ここからは分離、ここからはまとめるというハッキリした区切りではなく、分離されやすい・まとめられやすい領域がある。本稿では簡単のため、この不等式を目安として扱う。
より詳しくは、こちらのサイトが詳しかった。(小野測器 技術レポート 音質評価とは)

鋸波の話に戻せば、倍音構成の中のいずれかの倍音同士が ERB 内に入っていれば、それらの倍音は足しあわされた1つの信号として処理される。足し合わせの際、位相のずれによって違う信号になり、その違いが音色の違いとして知覚されるのである。

A0〜A7 で比べる

以下に、オクターブ違いのラ(A0~A7)の鋸波のスペクトラムを示す。スペクトラム上では、倍音が等間隔で並ぶ。 さらに、複数の倍音をその範囲に含む ERB(f)\mathrm{ERB}(f) のうち、最も ff が小さいものを長方形で示した。 理屈上は、可聴域である 20~20kHz にこのような ERB(f)\mathrm{ERB}(f) があれば、位相のずれが音色の差として認識できるはずである。 カードをクリックするたびに、位相をランダムにずらした鋸波が鳴る (押すたびに違う位相になる) ため、同じカードを何度かクリックして、聞こえ方が毎回変わるか確かめてみてほしい。

ERB 内に倍音が複数入っているというだけでは、必ずしも聞こえ方の違いとして現れるとは限らないことがわかると思う。
詳しく見ると、低い音ほど、少ない倍音番号でこの密集領域(ERB 内に複数倍音を含む領域)に入ることがわかる。 鋸波の振幅は nn 倍音において 1/n1/n となるため、十分に大きな nn において密集領域となってもその位相変化による音色変化はごくわずかになる。 密集領域に含まれる倍音が、音全体の振幅(ないしはエネルギー)のうちどれだけの割合を占めているかも重要になる、ということである。

なお、筆者の耳では A2 ほどで、音色の変化がわかりづらくなった。

まとめ

今回は、エンベロープを除いた音について、何が音色のもとになっているかを扱った。結果として、

ということが分かった。逆に、440 Hz(A4) の鋸波で位相をずらした実験からわかるように、異なる波形で同じ音色の波もあるとわかった。

なお、本稿で扱ってきたのは、厳密に周期的な波を前提とした話である。実際の楽器の音には、これに当てはまらない非倍音成分も含まれている。たとえば、ピアノでは弾いていない弦(ダンパーが上がっている弦)が共鳴し、ギターやヴァイオリンでも開放弦が共鳴して鳴ることがあるが、これらは弾いた音の f0f_0 の整数倍とは限らない周波数成分を音に加える。また、響板や胴、内部の空気といった楽器本体そのものにも固有の共鳴があり、これは弾いている音の高さに関わらず一定の周波数で鳴るため、演奏音の αn\alpha_n という形では表せない色付けをもたらす(弦自体の剛性による非調和性も同様で、ピアノの部分音が整数倍よりわずかに高い方へずれる「ストレッチ」として知られている)。こうした要素があるため、実際の楽器の音は厳密には周期的ではなく、{αn}\{\alpha_n\} と {φn}\{\varphi_n\} だけでは捉えきれない。本稿での議論は、あくまで音の定常的・周期的な部分を理想化して扱ったものとして理解してほしい。

改訂履歴

  1. 初版

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